スキゾイドが10日間ヴィパッサナー瞑想して思ったこと

スキゾイド

この度まとまった時間ができたので、かねてから行きたかったヴィパッサナー瞑想の10日間コースに参加してみました。

コースについての体験談は「千葉 ヴィパッサナー瞑想 体験談」とかで調べてもらえれば沢山出てくるので、ここではスキゾイド視点のヴィパッサナー瞑想体験で感じたことを書いていきます。

ヴィパッサナー瞑想とは

とはいえ最低限の説明はしておきます。

今回実践したヴィパッサナー瞑想を簡単に言うと「心と身体を観察して無意識レベルの悪い癖や苦しみを取り除こう」というものです。仏教発祥の地インドでは失われてしまったもののミャンマーに伝わり2500年間残りつづけた、ゴータマ・ブッダ時代から変わっていない古い瞑想法とのこと。

一般人を集めてこうした瞑想を実践する施設のことを瞑想センターと呼びます。一般的なイメージの寺院と大分違い合宿所みたいな感じですが、一応宗教施設です。瞑想センターは世界各国にあり、日本には京都と千葉にあります。今回は千葉の瞑想センターに行きました。

この瞑想センターはいまは亡きゴエンカ氏によって作られたもので、瞑想方法の指導や講話はゴエンカ氏の英語の音源を日本語訳したものが使われます。実際のコースには日本人の講師がいて質問などできますが、あくまでゴエンカ氏のアシスタント講師というスタンスです。


ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門: 豊かな人生の技法

日本の大乗仏教とはかなりイメージが異なります。多くの日本人にとって「悟り」や「涅槃」は超人のみが達成できるもので、悟った人は仏様となって人々を救ってくれる、凡人は座禅や念仏を唱えて極楽浄土に行けることを祈るのみ、みたいな感じでしょうか。

原始仏教や現在の上座部仏教、テーラワーダ仏教の世界では悟りは天才的な超能力のことではなく、正しく修行すれば普通の人でも達成できる職人芸の極地です。仏様に救ってもらうのではなく自分自身で苦しみからの解放を目指します。そのためにブッダが用意した実用的なトレーニングプランが現在のヴィパッサナー瞑想に受け継がれています。ヴィパッサナー瞑想を真剣に何十年も修行すると悟れます。今回行ったのはその10日間体験コースです。

この辺りの日本人には分かりにくい価値観を説明した『仏教思想のゼロポイント』という本があるので、気になる人は読んでみてください。


仏教思想のゼロポイント―「悟り」とは何か―

きっかけ

3年ほど前、スキゾイドとして理想の生き方を模索していたときに「お坊さんみたいにずっと瞑想し続ける生活ってスキゾイドに向いてない?」と思い、調べているうちに瞑想センターの存在を知りました。交流会にも瞑想センターに行ったことがある人がいて、時間が取れたら行ってみたいなと思っていました。転職を機に1か月ほど有給消化期間が取れたので3年ごしの実現です。

スキゾイドは基本的に悩みは少ないですが、「人生このままでいいのかな?」という焦燥感や、他人の目を気にしてしまう精神的な弱さは持っています。こうした漠然とした人生の不安に解決策はあるのか、瞑想をスキゾイドが本気で取り組んだらどうなるのかを体験してみたいと思いました。

コースについて

10日間コースでは1~4日目午前までアーナパーナ瞑想、4日目午後~10日目までヴィパッサナー瞑想を行います。アーナパーナ瞑想は集中力を高める瞑想法で、アーナパーナ瞑想で集中力を鍛えてからヴィパッサナーの身体の感覚に気づく瞑想を行います。

時間割は4時起き~9時半就寝の漁師スタイルです。瞑想は一日10時間、うち1時間×3回のグループ瞑想(みんなでホールに集まって瞑想する時間)があります。

(※写真を撮り忘れたので画像はこちらからお借りしました。)

生徒は男女それぞれ25人ほど。古い生徒(2回目以降のコース参加者)も半分くらいいたと思います。運営側は日本人の講師2人と奉仕者(運営ボランティア)が男女10人くらい。みんなボランティアです。資金も募金だけで運営されています。

コースが開始されると「聖なる沈黙」といって生徒(参加者)同士で喋ってはいけません。ジェスチャーも禁止。スキゾイド的には喋らなくていいのでむしろ楽でした。

あとスマホや筆記用具は回収されます。休み時間はやることがないので宿舎で寝たり、敷地内を散歩していました。妄想が得意なスキゾイドならそこまで辛くないと思います。

敷地内の散歩ルート

施設について

施設は大きく、宿舎、トイレ・シャワー棟、食堂、瞑想ルームです。男女に厳密に分かれていてお互いの空間に入ることはできません。それぞれの施設は野外にポツンと建てられていて、施設間の渡り廊下などはないため毎回靴を履く必要があって面倒でした。

男性側の宿舎

宿舎の中は14の個室に分かれていて、薄い壁とカーテンで仕切られてプライベート空間になっています。音はだだ漏れですが、視覚的に見えない安心感はありました。

スキゾイド的に辛いのは共同生活です。トイレ、シャワーは共用ですし、食堂もカウンター席みたいにすぐ隣に人がいます。宿舎は壁がスカスカなので3室横のいびきが聞こえます。共用設備は掃除は行き届いているのできれいですが、潔癖症や他人とあまり関わりたくないスキゾイド気質には辛いかもしれません。正直、一日中瞑想することより共同生活が辛かったです(人と話さなくていいのでなんとか耐えられましたが)。

あと夏場は虫が沢山いるので虫がダメな人は冬に行きましょう。

アーナパーナ瞑想

ここからは瞑想体験をとおして思ったことを書いていきます。

4日目までアーナパーナ瞑想で集中力を鍛えます。1日ごとに新しい方法が伝授されて、それを1日かけて実践します。1日かけて慣れてきたところで新しい瞑想法になるので退屈しませんでした。

1日目:鼻腔を息が通る感覚を意識する

2日目:鼻を頂点、上唇を底辺とした三角形の感覚を意識する

3日目:鼻の鼻腔を頂点にして上唇の底辺とした三角形(昨日よりさらに小さい)を意識する

最初は息という分かりやすいところから、段々と小さい部分の感覚を見ていき集中力を上げていきます。

意識を飼いならす

アーナパーナ瞑想の目的は、ヴィパッサナー瞑想のための集中力を手に入れることです。

元々1日目の鼻腔を息が通る感覚を意識する方法で毎日10~30分ほど瞑想していたため、瞑想自体は問題なくできました。ただ、さすがに10時間も瞑想すると集中力が途切れまくります。最初は3分くらい集中できましたが、段々意識が飛ぶ(いつの間にか別のことを考える)間隔が短くなっていきました。その代わり、意識が飛んでいることに気がついて戻る間隔も短くなっていきます。

初日:3分集中、意識が飛んで戻って来るまで5分

2日目:30秒集中、意識が飛んで戻って来るまで10秒

2日目の午後、このスパンはどんどん短くなっていき、最終的に「5秒集中しては意識が飛んで1秒で戻す」という集中しているのかしてないのかよく分からない状態でした。頭の中がテレビのザッピング、走馬灯、TV版エヴァの最終話みたいになっていました。それでも俯いて鼻の下にグーッと意識を集中していると、突然ピタッつと雑念が消えて、ただただ意識が鼻の下の感覚に集中しているだけの状態になりました。本当にある瞬間から一瞬で静かになったのが印象的でした。

その後は、たまに意識が逸れても10秒以内には戻れ、10分は連続して集中できるようになりました。

2日目の夜の講話で、「意識は野生の獣のように獰猛で手が付けられないが、一度飼いならすことができれば今度は強い味方になってくれる」とゴエンカ氏が言っていました。「あれが意識を飼いならせた瞬間だったのか?」と考えていました。

こうして飼いならせた意識を味方にヴィパッサナー瞑想に挑みます。
(余談ですが、この合宿から1週間経った今、意識はまた野生に戻ろうとしています・・・)

ヴィパッサナー瞑想

4日目の午後からヴィパッサナー瞑想が始まります。

テーラワーダ仏教では渇望や苦悩は身体に起こる感覚に心の反応がすることで発生します。同じ出来事でも気持ちの捉え方によって楽しかったり苦しかったりしますが、身体の感覚だけを平静に観察すれば心はそれに「楽しい」「苦しい」とラベリングをしなくなっていきます。心のラベリングを無くして苦から解放されようということで、具体的には全身の感覚に気づいた上で反応しない練習をします。

4日目:頭の頂点から足の先まで5~10cm平方ごとに身体の感覚を見ていく。感覚がなかったり凝り固まっている箇所は1分ほど留まる。

5日目:4日目と同じ

6日目:頭の頂点から足先まで行ったら、今度は足先から頭まで戻っていく

7日目:手や足など感覚を左右対称に見ていく。微細な感覚があるところは流れるように見ていく。

8日目:全身に微細な感覚があるときは、全身を流れのように見ていく。不快な感覚が現れるかもしれないが平静にそれも見ていく。

9日目:全身を巡れるようになったら身体の内側をCTスキャンの断面を取るように見ていく。

コース終了後に取り組むことの説明も兼ねているので全て期間内にできる必要はありません。僕は8日目から「全身に微細な感覚」がなかったので付いていけなくなりました。

ゴミ屋敷の大掃除

ヴィパッサナー瞑想はゴミ屋敷を掃除しているイメージで実践していました。

まずゴミがあることに気がつく段階です。ゴミ屋敷の住人は大抵ゴミをゴミだと認識できず、すべて大事な物だと思っています。全身の感覚を観察することで「こんなところにゴミ(不快な感覚)がある」と気付いていきます。

ゴミに気付いたら、次は家の周囲や壁、屋根などを掃除していきます。ヴィパッサナー瞑想的には身体の表面の分かりやすい凝りを観察したり、全身に感覚を感じるようになる段階です。僕の場合、肩こりは何日も取れないしつこい壁の汚れのようでした。「絶対この汚れを取ってやる!」の精神で毎日ゴシゴシと瞑想してました。

僕はまだ到達していませんが、家の周りの掃除が終わると身体の表面に微細な感覚を自由に巡れるようになるらしいです。

家の周りがきれいになったら次は内部です。ただしすぐに家の中に入るわけではありません。外側をきれいにして静かな心で観察していると家の中から古いゴミが少しづつ出てきます。それを冷静にコツコツ掃除していきます。

ゴエンカ氏曰く、全身に微細な感覚があるときに新しい不快な感覚が出てくるとイライラして次の段階に進めない人がいるそうです。折角きれいにした家の周りにゴミが溢れてくるとイライラしますね。ただそれは外から持ち込まれたゴミではなく、いままで出てこなかった家の中から溢れたゴミなのです。そう考えればゴミが出てきたら逆に嬉しくなりそうです。

家の中からゴミが溢れなくなったら、ついに家の中に入ります。身体の内面をCTスキャンのように見ていく段階です。より古くて凝り固まった汚れを掃除します。家の内外すべての汚れを掃除して、新しいゴミや汚れを生まない段階に到達すれば完了です。

この状態を常に無意識でキープできるのが「悟り」だと僕は解釈しています。

肩こりが移動する

4日目は身体の感覚がない部分が多く、「感覚ってなんだ・・・?」と思いながらとりあえず言われたとおりに観察していました。顔や掌はなんとなくぞわぞした感覚がありますが、腕や胴体は無反応でした。それでも大きな感覚、「肩がすごい凝ってるな」「足がめっちゃ痺れるな」は分かりました。

6日目くらいになると不思議なことに肩の凝りがなくなって、代わりに肩甲骨や鎖骨に筋肉痛のような鈍い痛みが出てきました。肩こりが下に移動しているイメージです。7日目には背中の真ん中くらいと、二の腕部分に落ちていきました。8日目に右の凝りがなくなり、9日目に左がなくなりました。左利きなので左肩の方が凝ってたみたいです。

肩の感覚に集中することで無意識に力んでいた筋肉が緩んだのかなと思います。肩の筋肉が緩むことで別の筋肉が緊張して、それもまた緩む。そうやって少しずつ全身の筋肉が緩んでいって最終的にバランスが取れた、と解釈しました。ただ凝っている部分を観察するだけで痛みがなくなっていくのは不思議な経験でした。

感覚が分からない

ここまで散々感覚感覚と言ってきましたが正直「感覚」はよく分かっていません。ゴエンカ氏の話を聞いていると、普段使っている感覚と仏教でいう感覚はどうやら違うみたいです。

ゴエンカ氏によれば「痛み、痒み、暑さ、寒さ、汗の流れなどは全て感覚」だと言います。それは分かります。ただ、それ以外の何もないときに感じている「そこに皮膚があるな」というものは感覚ではないみたいです。例えば「右の二の腕を意識してください」と言われば誰でも二の腕を意識することができます。「いや、二の腕の感覚がないので分かりません」という人はいないでしょう。では「左の腎臓を意識してください」と言われればどうでしょう?「いや、どこだよ!」となりますよね。このとき「二の腕にはあって腎臓にはないもの」が感覚ではないか?

というようなことを講師に質問してみたのですが、「何度も観察しているうちに分かるようになりますよ」と肯定も否定もされない返答でした。とはいえ「皮膚があるな」はここで言う感覚ではないと暗に理解しました。

また、「その部分に感覚を感じないときは、皮膚に風や服の当たる感触を意識して次の部分に行きなさい」と説明があったので、「暑さは痒みは感覚だけど皮膚に風や服の当たる感触は感覚じゃないの?」とますます謎が深まっていきました。

いまも「これが感覚だ」と自信を持って言えませんが、少しだけ自分の中で整理できました。

身体の感覚に対して心が反応したときに苦や渇愛などの執着が生まれます。なのでヴィパッサナー瞑想によって身体の感覚に心が反応しないよう訓練をするわけです。感覚とは「心が反応してしまう身体の五感」と言い換えられます。逆に「心が反応しない身体の五感」は感覚ではないのです。「ただそこに皮膚があること」に心は反応しないので感覚ではありません。暑いな、寒いな、かゆいな、痛いなという知覚には心が反応して対処しようとします。なのでこれらは感覚です。

こうした心が反応する感覚の他に「微細な感覚」という概念があるのですが、これもいまいち分かりません。凝りが無くなったり、何も感じない部分が感じるようになってくると微細な感覚が生まれて、全身の微細な感覚を流れるように観察できるそうです。僕も集中しているときは産毛の逆だっている感覚、鳥肌の弱い感覚、肌が少しだけゾワッとする感じがありますが、それが「微細な感覚」なのかは分かりません。もう少し瞑想を続けると理解できるかもしれません。

平静な心

ゴエンカ氏はしつこいくらいに「冷静に平静な心で瞑想しましょう」と言っていました。最初は「毎回しつこいな、分かっとるわい」と思っていましたが、ヴィパッサナー瞑想の途中からその効果を実感できました。

ヴィパッサナー瞑想2日目くらいになると、感覚がよく分からないし足が痛いしでイライラしてきます。おそらく心が反応できないとフラストレーションが溜まるのでしょう。他の新しい生徒(初めての参加者)も同じ気持ちだったのか、どんよりした雰囲気になっていました。寝るときもヴィパッサナー瞑想開始前は静かだったのに、寝返りをうってベッドが軋む音や、小さい唸り声が聞こえてくるようになりました。そういう僕もしばらく見てなかった夢をみたり夜中にふと目が覚めることがありました。

そうしたイライラの中で瞑想を始めようとしたとき、またゴエンカ氏が「平静な心で働きなさい(瞑想しなさい)」と言いました。そのとき「そうか、ヴィパッサナー瞑想はイライラするのが当たり前なんだ。だからこんなにしつこく何度も平静になりさないと言っているのだ」と実感しました。「冷静になりましょう」「人に優しくしましょう」のようなただの標語だと思っていた言葉にちゃんとした目的がありました。

その後の講話でゴエンカ氏が「ヴィパッサナー瞑想の進捗を測るのは、どれだけ微細な感覚があるかではなくどれだけ心を平静に保てるかだ」と言っていました。まだ全身が凝り固まっていたものの平静に観察できるようになってきた自分には励みになりました。

心のVR訓練

ヴィパッサナー瞑想中、イライラしたり肩が痛かったりと不調がどんどん出てきますが、不思議と瞑想中以外は嫌な気持ちにはなりませんでした(肩周りの痛みは少し残りましたが、瞑想中ほど気になりません)。

普段の僕は、仕事中に嫌なことがあれば仕事が終わっても胃が痛くなったり、食欲がなくなったりずっと寝込んだりと引きずりがちです。合宿中は瞑想が上手くいかなくてもそれはそれとして元気にモクモクとご飯を食べられました。精神的力が上がったのか、有り体にいえば図太くなったのか。いままでストレス下でも平然と生きていける人を別次元の住人だと思っていましたが、その感覚がほんの少しだけ分かった気がします。

ずっと瞑想を続けると昔の苦(トラウマや恐怖症)が身体の表面に現れることがあるそうです。高所恐怖症の人なら落ちるような感覚、潔癖症なら汚いものを見たときに感じる不快感などでしょうか。でもそれは本物ではなく瞑想中という状況に限られていて安全です。安全な環境下で現れる感覚を平静に観察していけばいつかその苦が無くなっていきます。そして現実で同じ感覚が襲ってきても瞑想中と同じように平静に対処できるようになるはずです。

臨床心理学では恐怖症の対象となるものを弱いものから徐々に経験して慣れていく暴露療法というものがありますが、ヴィパッサナー瞑想はさながら仮想空間の暴露療法だなと感じました。

まだ古いトラウマが出てくる経験はないので、瞑想を続けて確かめてみます。

スキゾイドの防御方法、ヴィパッサナー瞑想の防御方法

スキゾイド特有の精神防御力の話です。

スキゾイドは人間関係においてあまり悩みはありません。そもそも深い関係を構築しないのでトラブルになることが少なく、本人も承認欲求などが薄いからです。人に期待しないし依存もしないので、誰が思い通りのことをしてくれなかったり突然別れることになっても「まあ悲しいけど仕方ないよね」とあっさり諦められます。

怒りの感情についても同様で、スキゾイドは怒ることが少なく(そもそも人間関係が少ないので怒る機会が少ないのもありますが)、一時的にカッとなってもすぐに冷静になれる人が多いです。怒りが発生したときに「怒っている自分」を客観的に見ることで冷静になれます。意識して客観視しているというより、強い感情があったときに自動的にこの客観視モードになります。

ヴィパッサナー瞑想では「怒りによる身体の反応を冷静に観察すれば怒りを鎮められる」といいます。「感情→身体的反応→感情→身体的反応・・・」といった心と身体のフィードバックループを身体側を観察することでストップさせ、それ以上感情が増幅しないようにしています。スキゾイドは身体より感情側でフィードバックループをストップさせている気がします。感情を観察するのは難しいので、ヴィパッサナー瞑想では身体を観察しているのでしょう。

スキゾイドの方法の弱点は内面です。深い人付き合いを物理的に遮断することで外側の平穏は保たれていますが、それ以外の悩みやモヤモヤがあるとストレスが溜まりやすいです。内向型なので頭の中で悩みがぐるぐるとループします。そもそも内面の防御力が低いから人間関係を遮断するなどの物理的な防御を取るようになったとも言えますね。

ヴィパッサナー瞑想はこうした内面にも効果的でした。嫌なことがあると身体的反応が現れます。一番分かりやすいのは呼吸と汗です。僕の場合は加えて頭が重くなったり胃が痛くなります。そういう身体的反応を客観的に観察すると、心が「いまここ」に留まり次の感情が発生しなくなります。これがスキゾイドのように感情を観察してしまうと、感情から以前の嫌な記憶を思い出したりこれから起こることを想像したりと、心が過去や未来に飛んでいってしまいます。身体的反応はそれ自体に過去や未来は存在しないのでこの瞬間に留まれるのです

スキゾイド的な感情を客観的にみるアプローチは外部要因には有効ですが、内部要因には脆弱でした。それより身体を観察したほうが外部にも内部にも効果的です。

「感情が湧いたら冷静に身体の反応を観察して感情が鎮まるのを待ちましょう」と言うのは簡単ですしやってみた人もいるでしょう。ですが大抵は上手くいきません。僕も試したことはありますが効果を実感できませんでした。なぜなら、身体を観察しているうちにいつの間にか意識が飛んでいって嫌なことを考えてしまうからです。つまり集中力が足りません。本当の意味で「身体を観察」できていないのです。

アーナパーナ瞑想で強力な集中力を手に入れる。ヴィパッサナー瞑想で正しく身体を観察する経験をする。その結果、気持ちが軽くなったり、肩こりが取れたりと具体的なメリットを実感する。メリットを実感したので日常生活でも瞑想に取り組む意識が生まれるし、集中できていないときに「これは正しいヴィパッサナー瞑想ではない」と分かる。これらを達成するための期間が10日間です。10日間なんて長すぎると思っていましたが、これくらいやらないとヴィパッサナー瞑想を武器として使いはじめることができないなと実感しました。

スキゾイドにヴィパッサナー瞑想は向いているか

最後にスキゾイド的にヴィパッサナー瞑想ってどうなの?を考えます。

「物事を客観的にみる」というアプローチはスキゾイドが普段から行っているため、瞑想中も特に難しくはありませんでした。普段は心を客観的に見ていますが、それを身体的反応に置き換えるだけです。

ヴィパッサナー瞑想中は1日1時間×3回「決意の時間」という足を組み直さない、手を組み直さない、目を開けないという取り組みがあるのですが、僕は全ての時間で達成できました。初めての参加者は2~3日くらい、足が痛くて動いてしまったり苦戦していたので、僕はこの取り組みは向いていたと思います。

「客観的に見る」のは得意でしたが身体を観察するのは苦手でした。結局最後まで「全身を微細な感覚が巡る状態」が分かりませんでした。元々身体が思い通りに動かず運動が苦手だったり、痛みや吐き気のような気持ち悪い感覚に弱いので自覚はありました。ヴィパッサナー瞑想を経て身体に意識が向けられるようになったことは良かったなと思っています。これについてはスキゾイドでも意見が分かれるかもしれません。運動が得意な人は簡単だと思います。

最後に集中力ですが、これはスキゾイドというか内向型は苦戦すると思います。視覚や聴覚、スマホなどの外部の誘惑を遮断しても脳みそという強力な敵が残っているからです。瞑想中もずっと妄想が膨らんで大変でした。帰ってからも瞑想を続けていますが、合宿中に手懐けた意識がまたウロウロするようになってきました。他の人よりアーナパーナ瞑想の時間を増やして集中力を高めていく必要がありそうです。

終わりに

そんな感じで、瞑想体験について思ったことを書きました。10日間の集団生活はスキゾイド的には辛かったですが、ヴィパッサナー瞑想という強力な武器を手に入れられたので結果的には行って良かったです。日常でこの武器を大切に育成していきたいです。

また数ヶ月後に効果があったかについても書いていきます。


ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門: 豊かな人生の技法


仏教思想のゼロポイント―「悟り」とは何か―

コメント

  1. goko より:

    記事更新お疲れ様です
    もしかしたら既にご存じかも知れませんが、パーソナリティ障害の自己診断に使える「パーソナリティ スタイルテスト」というものがあるのを最近知りました

    説明を読むと、こちらでも以前紹介されているMBTI等のテストへの一般的批判に対抗する為にパーソナリティ学の専門家等で作成したものの様です

    鵜呑みにするのは危険ですが「これはスキゾイドっぽい」ではなくズバリスキゾイドかどうかを診断できるテストなのでその点で価値がありそうです

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