スキゾイドは人との交流に興味がなく、人間に関わること自体がストレスです。なので、人間社会から離れて一人静かに暮すのが一番良いと言われてきました。
しかし最近は、スキゾイドも普通の人と同じように、心の奥では人との付き合いを望んでいるのでは、と思い始めています。
人は誰でも「抑うつ不安」を持っています。しかし、スキゾイドは「侵入不安」が強すぎるため、抑うつ不安は押し殺されてしまいます。結果として「人付き合いしたい気持ち」が分からなくなっているのです。
目次
人は誰でも抑うつ不安を持っている
抑うつ不安はほぼ全ての人間が持っている人間関係への不安です。
人は誰でも「人と仲良くなりたい」「認めてもらいたい」という欲求を抱えています。これは食欲、性欲と同じ、生物としての自然な欲望です。
集団に認められれば生存率が上がり、遺伝子も残しやすくなるからです。他の人と仲良くなれる人が必然的に生き残ります。
同時に「嫌われたらどうしよう」「能力を認めてもらえないかもしれない」という不安も抱えます。
現代では、学校や会社で嫌われても死ぬわけではありません。しかし、ほんの数千年前まで、集団から排除されることは死を意味していました。嫌われたくないという気持ちも、仲良くなりたい気持ちと同様に、人間の本能に根付いたものです。
普通の人間は「人と関わりたい欲求」と「人に嫌われる不安」の葛藤の中で生きています。
この「人と仲良くなりたいのに嫌われるのが不安」という気持ちを「抑うつ不安」と呼びます。
抑うつ不安は悪いものではありません。『対象関係論の実践』では、以下のように言っています。
「こころの中に抑うつ不安を保持し続けることこそ”こころの健康”である」
抑うつ不安があるから他人に共感したり、思いやることができます。抑うつ不安を否定せずに、ありのまま受け入れることが正常な心の働きなのです。
抑うつ不安は誰でも持っています。人間関係に興味がないと思っているスキゾイドも例外ではありません。しかし、スキゾイドの抑うつ不安は、分裂的防衛によって隠されているのです。
スキゾイドの分裂的防衛
過去に親子関係やイジメなどで、認めてもらえない、仲間はずれにされるなどの経験をすると、「人に嫌われる不安」が「人と仲良くなりたい欲求」より強くなります。
また、相手との感情を交えた親密な人間関係を築こうとすると、心に侵入され、支配されるような不安を抱えます。これを「侵入不安」と言います。
侵入不安についてはこちらの記事に詳しく書いています。
「侵入不安」が「人付き合いの欲求」を上回る、「侵入不安 > 人と仲良くなりたい欲求」の状態になると、他人から侵入されないために孤立を選ぶようになります。
抑うつ的な「人に嫌われる不安」も抱えてはいますが、「侵入不安」が上回っています。孤立して人に嫌われてもいいから、自分の心に侵入して欲しくないという状態です。
こうして人と関わるのが嫌なスキゾイドが生まれます。
スキゾイドは分裂的防衛を使います。良いものと悪いものをきっぱり分けて、悪いものを心の奥に閉じ込めて見えなくする働きです。
部屋が散らかっている時に、整理整頓しようとせず、散らかっているものを全部押入れに放り込むような行動です。
スキゾイドにとって「人と仲良くなりたい欲求」は「侵入不安」と相反する都合の悪い存在です。「侵入されるのが怖くて人と関わりたくない、でも深い人間関係を築きたい」なんて矛盾した感情はスキゾイドには抱えきれません。
そのため「人と仲良くなりたい欲求」を分裂防衛を使って心の奥に閉じ込めてしまいます。
すると「侵入されるのが怖くて人と関わりたくないし、深い人間関係も望んでいない」という一貫した理論が成立します。スッキリですね。
そして自分自身でも、閉じ込めた「人と仲良くなりたい欲求」は忘れてしまいます。
スキゾイドは本気で、人と関わりたくないと思っています。「人に興味がない」という発言は、強がりではなく本心なのです。
でも、本当は「人付き合いした気持ち」が無意識という押入れに残っているのです。
スキゾイドの隠れた人恋しさ
スキゾイドに「人付き合いした気持ち」が本当にあるのか、まだ半信半疑な人もいるでしょう。そこでいくつかの例を通して、スキゾイドの対人欲求を見ていきます。
あなたにも思い当たるかもしれません。
小学生時代の僕は正反対の性格
思い出してください、素直に感情表現できていた子供の頃を。スキゾイドは生まれつき人間嫌いだったわけではありません。何かのきっかけから「侵入される不安」が増加したせいで、人との関わりが怖くなってしまったのです。
つまり、スキゾイドになる前、人との交流を楽しんでいた時期があったはずです。
僕は小学生の頃、しっかり自分の感情を表現できていた記憶があります。
母親や妹を楽しませようと面白いことを言ってみたり、変な踊りを踊ってみたり、おちゃらけた性格でした。楽しい時は素直に喜んでいたし、悲しい時はめっちゃ泣いてました。
学校では家より大人しかったものの、友達も多く、休み時間は毎日鬼ごっこなんかして遊んでいる。自分が主導して新しい遊びを考案したりしてました。
・・・こう思い出してみると、今とは正反対の性格でびっくりです。
当時は「人付き合いした気持ち」が大きく、「人に嫌われる不安」はほとんどありません。「嫌われたらどうしよう」とはあまり考えていなかったので、人を褒める言葉も、貶す言葉も、思ったままに素直に言って、やりたいことがあれば、特に考えず行動していました。
今思うとちょっと空気の読めない子供ですね。
この性格が変わるのは、イジメが始まる中学2年からです。さらに、この時期から家庭環境がゴタゴタしてきて、親子での素直な交流も無くなっていきました。
「人間関係は面倒で辛いもの」という認識に変わっていき、人と距離を取って、感情を出さないようにしているうちにスキゾイドになってしまいました。
このように、僕はスキゾイド的な性格になる前は、感情表現豊かで人との関わりを楽しめる子供でした。あなたも忘れているだけで、似たような思い出はありませんか?
臨床例でも対人欲求が現れる
詳しくはこちらの記事で書いていますが、スキゾイドの治療は、まず侵入不安を緩和して、次に抑うつ不安を修正する流れになっています。
つまり、スキゾイドの侵入不安が薄まれば、自然と人付き合いしたい欲求が現れるのです。
長年スキゾイドの患者を扱ってきた臨床心理士が言うのですから、信憑性は高そうです。
5chのスレが続いたのも人恋しさから
スキゾイドの5chスレはご存知でしょうか? Part8で落ちてしまいましたが、何年もちまちまと続いた息の長いスレでした。
僕は書き込みをしたことはありませんが、定期的に見に行っていました。僕みたいは人は多かったでしょう。
なぜスキゾイドスレが続いたかといえば、スキゾイドは潜在的には人付き合いをしたいからです。
特に「スキゾイドを認めてくれる人達との人付き合い」ができるのは、スキゾイドスレしかありません。
スキゾイドは、他人と深い関係になって侵入されるのを嫌うので、絶対に侵入される心配がないスキゾイド同士の交流は理にかなっています。
情報交換の面もありますが、あまり有益ではないコミュニケーションも楽しんでいます。「会話に疲れる」「人と関わりたくない」という愚痴に、心から共感できる環境は魅力的です。
スキゾイドが本当に人付き合いを望まないのであれば、そもそもこんなスレは存在しなかったでしょう。
まとめ
・Pointスキゾイドは無意識では人付き合いを望んでいます。
・しかし分裂的防衛によって「人付き合いした気持ち」が見えなくなっています。
・隠れた人恋しさは、過去の自分、臨床例、5chのスレから察することができます。
今回はスキゾイドの「人付き合いしたい気持ち」に焦点を当ててみました。今までの記事の焼き直しになってしまった感じですね。
でも、「人付き合いしたい気持ち」は、僕的にはすごく大事な発見だったので何度でも書きます!
ここまでお読みくださりありがとうございました。
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