あなたはスキゾイド気質になったきっかけを覚えていますか?
僕は覚えています。小学生までは内向的ながらも友達と楽しく遊べていましたが、中学でのいじめで、感情を表に出さないようになったのが始まりです。
他の方は明確な原因があったのでしょうか? 掲示板で聞いてみました。
様々なきっかけがありましたが、特に意外だったのは、回答してくれた人の約半数はこれといった要因がなかったことです。成長とともに徐々に人間関係に疲れて、回避するようになっていったのでしょう。
また、物心ついた時からスキゾイド気質だったという人もいました。
特徴をまとめると以下の2つになりました。
・きっかけがあった人と無かった人は半々くらい
・きっかけは思春期のいじめが多い
Point
それぞれを見ていきましょう。あなたにも覚えのあるエピソードがあるかもしれませんね。
個別の回答はスキゾイド研究会で見れます。
目次
きっかけがあった場合
コメントをくださった方の半数はスキゾイドになるきっかけがあった人です。僕はこちらのタイプです。
特徴的なのは、幼稚園や小学生の頃は友達も多く、楽しく遊んでいることです。発想が豊かなので皆の中心になったり、輪の中心になることもあります。今の自分では考えられませんね。
この時期は同年齢の子供たちは素直なので、感情を表現していても、変なやつと差別されずに受け止めてもらえます。また、家族仲も比較的良好で、自分の感情を否定されることが少ないようです。
あるきっかけによって、感情を抑えて、一人でいることを楽しむようになります。それはいじめだったり、家族間のゴタゴタだったり、社会人になった生活の変化だったり様々です。
きっかけがない場合
きっかけがなかった人は、徐々に人間関係が煩わしくなってスキゾイドになるパターンです。いじめや家族の変化など、明確な理由はありません。こちらも半数ほどいました。
幼少期から砂遊びや工作などの一人遊びが好きだったり、友達がドラマや恋愛の話をしていても興味がわかない、騒がしい環境が苦手などの理由で友達と疎遠になっていき、気が付いたらスキゾイド気質だったという感じです。
僕はこのタイプではないですが、原因となったいじめが無くても、人間関係が面倒くさくなってズルズルとスキゾイド気質になっていた可能性はあります。
また、物心ついた時からスキゾイドだったという方もいました。おそらく家庭環境によって幼い頃から自分の意思を表現できなくなっていたり、周囲の感情が強く、防衛のために心の奥に感情を押し込めるようになっていったのでしょう。
要因は思春期のいじめ?
きっかけがあった人は、どういった傾向があったのでしょうか?
時期は幼少期から社会人まで様々でしたが、一番多かったのは、小学生高学年から中学生にかけてです。友達とも親密な付き合いが求められ辛くなったり、いじめが発生しやすい頃ですね。
10~15歳は、思春期前期に突入し、グループを作って同調圧力が強くなっていく時期です。それまでは内向的で変わった子にも寛容な空気がありましたが、この頃は自分と違うグループを迫害するようになります。
研究会でも友達とつるんだり、仲間外れを作って喜ぶことに興味を持てずにどこにも所属しなかった結果、目を付けられていじめられるようになったという人もいました。
また、HSPもいじめの標的にされやすいです。HSPとは感情に過敏な性格のことで、長時間誰かと一緒にいたり、情緒的なやりとりが続くと疲れてしまいます。
HSPとスキゾイドの関係についてはこちらの記事をどうぞ
いじめは直接の原因ではない
いじめがスキゾイドの契機にはなりますが、いじめによる精神的苦痛は直接の原因ではありません。
実際にいじめに遭ってもスキゾイドにならず人付き合いを望んでいる人は大勢いますし、友達が沢山いたり、結婚している人もいます。彼らとの違いは何でしょうか?
元々一人でいても寂しさを感じず、上手く内的世界が形成されている人はスキゾイドになりやすいようです。スキゾイドの素質ですね。
いじめられて一人でいる環境に身を置くことで「今まで友達と遊ぶのが良いことだと思い込んでいたけど、一人の方が気楽で楽しいじゃん」と気づいて孤独を謳歌するようになります。
また、いじめによって、感情を抑制する技術や、変人だと思われて迫害されないように仮面の性格を獲得します。
家族関係
当然きっかけはいじめだけではありません。家族とのいざこざでスキゾイド気質になった人も多いです。
母親が過保護でなんでも先回りしてやってしまい自分のやりたいことができなかったり、何かを強制されて自分の意志が尊重されないと感情を抑えるようになります。
研究会では、幼少期からテニスを強制されて自分の意見ができなかったり、両親が宗教の会員で愛情のある交流がなかったというコメントがありました。
こうした環境で自分の感情や愛情が受け止めてもらえないと察すると、感情表現を諦めスキゾイドになっていきます。
僕のきっかけ
最初に述べたように、僕のきっかけはいじめです。それまでは友達もそれなりにいて、遊びの中心になることを多々ありました。
中学生で周りのグループに溶け込めず、目を付けられて軽いいじめがありました。
いじめは数人のグループが物を隠したり、休み時間の度にからかってくるだけの軽いものでしたが、毎日毎日やられるとじわじわと精神がすり減ってきます。
本の世界に逃げ込んだり、できるだけ外の世界の情報をシャットダウンするようになりました。
また、いじめっ子は僕が反応すれば喜ぶと分かっているので、できるだけ感情を抑制するように意識していました。初めは意識して抑えていましたが、そのうち怒りや喜びの感情が自然と溶けて消えていくようになりました。
今思えば、この頃にスキゾイド的な防衛機能が形成されていたようです。
高校生からはいじめもなくなりましたが、一人で自由に過ごせることの楽しさを知ってしまったので、特に友達とも遊ぶことなく一人でいることが多かったです。
「一人でいると寂しい」という人もいますが、僕は全く平気でした。一人でも本を読んだり、絵を描いたり、小説を書いてみたり、プログラミングを勉強してゲームを作ってみたり、やることは無限にあります。
どうでも良いことではしゃいだり、休日にカラオケ行って、部活終わりにフットサルして、mixiでナンパしてーなんて話が聞こえてくると、「一人で良かった」と心から思いました。
まとめ
今回のポイントは以下の2つでした。
・きっかけがあった人と無かった人は半々くらい
・きっかけは思春期のいじめが多い
Point
きっかけがあった場合は小学生から中学生くらいの時期が多いです。しかし、明確な原因がなかった人も半数はいました。きっかけ自体はそこまで重要ではなさそうです。
あるきっかけでスキゾイドになったというより、その出来事で自分のスキゾイド気質に気が付いた、防衛手段が確立されたと考えた方が自然かもしれません。
スキゾイドの素質があって、それが発現しやすい環境であればスキゾイドになる、という感じですね。
スキゾイドの素質があるからといって必ずスキゾイドになる訳ではありませんが、関係は強いと思います。機会があれば素質についても考えてみたいです。
研究会では他にも様々なエピソードが寄せられているので覗いてみてください。「こんな経験をしていたのは自分だけじゃなかったんだな」とびっくりすると思います。
ここまでお読みくださりありがとうございました。
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