スキゾイドは寂しさを感じない?

スキゾイド

 

「寂しさを感じたことがない」、「寂しいという感情がよく分からない」というあなたは、もしかするとスキゾイドかもしれません。

寂しさを感じない(感じにくい)のは、スキゾイドの特徴の一つです。

でもそれは、寂しい感情を押し殺しているわけではなく、まして、サイコパスのように感情がないからでもありません。

 

スキゾイドは「寂しさ」を自分の中で満たせるため、他人に認めてもらう必要がないのです。

アンケートと、研究会のコメントを参考に、スキゾイドが寂しさを感じない理由を考察してみました。

 

スキゾイドについてはこちら

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スキゾイドの特徴に当てはまるけど、よく寂しさを感じるという人は、もしかすると回避性人格かもしれません。

 

目次

 

スキゾイドは本当に寂しさを感じないのか

スキゾイドは寂しさを感じるのか、twitterでアンケートを取った結果、どうやらスキゾイドは寂しさがあまりないようです。

 

アンケートはこちら。

 

「回答だけ見る」を除くとこんな割合です。

「全くない」という人が35%いました。普通の人から見れば驚きの結果でしょう。しかし、僕の場合、「たまにある」と回答した人が56%もいたことに驚きました。僕は寂しさが全くないので、きっと他のスキゾイドも同じで、「全くない」が60%くらいになると思っていたからです。

しかし、「たまにある」と答えた人に話を聞くと、たまにというのは、数ヶ月に1回、年に1回程度のようです。そのくらいの頻度であればほとんどないとも言えます。

 

スキゾイドは寂しさをほとんど感じないと結論付けても良さそうです。

 

普通の人が感じる寂しさって何?

スキゾイドが寂しさを感じない理由を探る前に、「寂しさ」とはどういった感情なのか知る必要があります。普通の人は一体どんな時に寂しさを経験するのでしょうか?

 

寂しいとは賑やかでない状態

辞書によれば、「寂しい」の対義語は「賑やか」だそうです。

 

賑やかと言っても、渋谷のセンター街のように、ただ人が多くて騒がしいだけでは駄目でしょう。寂しさの反対の言葉について、しっくり来る説明を見つけたので引用します。

「寂しさの反対を意味する言葉を私たちは持っていない。もし持っていたとしたら、私が人生において望むものは、それだと言えるだろう。愛と言うのでもない。コミュニティともどこか違う。それは、人々がいるという感覚、あふれんばかりの人々と共にいる感覚だ。彼らは同じチームに属している。支払いを終えてもテーブルから立ち上がらない。午前4時になっても誰も眠りにつこうとしない。ギターと共に過ごしたあの夜。覚えていることなど出来ないあの夜。一緒に何かをした、行った、見た、笑った、そして感じたあの時間。」

寂しさの反対語とは何だろう? イェール大学を卒業したばかりの22歳が遺した言葉

同じ共同体に所属していて、一体感を感じられる状態こそが「賑やか」です。自分が多くの人に囲まれて安心できる、沢山の人に認められていると分かっていることで寂しさが満たされるのです。

部活が終わったのにマックで集まって駄弁っている、スポーツバーで隣の人と一緒のサッカーチームを応援する、ライブでみんなと一緒に盛り上がるような感覚でしょうか。僕は感情が溢れんばかりで、想像しただけでも疲れてしまいます。

 

「寂しさ」はこの逆を考えれば良さそうです。

つまり寂しいとは、共同体に属しておらず孤独。誰にも認められない、理解されないで不安な状態と言えます。

 

自己肯定感の低さが寂しさになる

寂しさはただ孤独であるだけでなく、誰にも認められない不安がある時に感じるようです。誰かに認められたいという思い、いわゆる承認欲求ですね。

なぜ承認欲求があるのかといえば、自分の存在価値を誰かに評価してもらいたいからです。それは自分で自分の価値を認めることができないから。自己肯定感が低いんですね。

 

自己肯定感とは、自分のあり方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉です。
(出典 実用日本語表現辞典)

 

僕は「自己肯定感が低い=寂しい」だと思っています。

スキゾイドは自己肯定感を自分で高められるため、寂しさを感じないのです。

 

スキゾイドが寂しくない理由

スキゾイドが寂しさを感じない理由は2つあります。

・自己肯定感が高いから
・理解者を諦めているから
Point

それぞれ見ていきましょう。

 

自己肯定感が高い

研究会である方が、「他人からの評価がどうだろうが自分の中での絶対評価は変わらない」と言っていました。絶対評価とは言い得て妙です。

スキゾイドは、誰かに価値を認めてもらわなくても、自分で自分の価値を評価できます。

なぜなら、自分の内的世界を重視しているからです。外からどう思われようが、最終的には自分が良いと思うことが大事。なので自己肯定感はめちゃくちゃ高いです。

 

自己肯定感についてはこちらにも書いています。

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理解者を諦めている

スキゾイドは、誰にも理解されない状態が当たり前になっています。それも寂しさを感じない理由の一つかもしれません。

 

どんな時に寂しさを感じるかという質問に、「自分の理解者がいないときに寂しさを感じる」と答えてくれた方がいました。自分の本心が誰にも理解されないというのはとても不安で寂しい状態のようです。

 

僕は理解者がいなくても寂しくありません。

というより、「理解してもらった経験がないから、理解者がいない寂しみを感じられない」と言った方が適切でしょう。

 

中途半端に理解したフリをされるくらいなら、全く理解されない方が気楽です。

その気持ちには、スキゾイド気質まで含めて僕を理解してくれる人はいないだろうという諦めも含まれています。

 

スキゾイドでも寂しさを感じる時

そんなスキゾイドでも、寂しいと思う時があります。

・精神的に疲れた時
・理解者に会えた時Point

精神的に疲れた時

精神的に疲れた時に寂しさを感じるという方が3人いました。

 

寂しさは普段抑え込まれているわけではなく、内的世界で上手く昇華されています。

しかし、精神的な疲労で自己肯定感を満たす余裕がなくなると、昇華しきれなかった寂しさが現実世界まで溢れ出てしまうのです。

 

寂しさを感じた時は、一人で休息を取ると消えるそうです。普通ならば人と会いたがるはずなのに、スキゾイドは逆に一人になろうとします。興味深いですね。

休息を取ることで、内的世界の「自分で自分の価値を評価する機能」が復活するのでしょう。人と会うことの煩わしさに比べたら気楽な回復手段です。

 

理解者に会えた時

スキゾイドは誰にも理解されない状態が当たり前になっていますが、稀に理解者に会えることもあります。

研究会で、そうした理解者に会えた人がコメントしてくれました。スキゾイド気質も含めて、自分を認めてくれるが離れていってしまう時は、焦りや喪失感があったそうです。

 

1回でも理解者がいた経験があれば、スキゾイドでも寂しさを実感できるようです。ただし、自分で寂しさを埋める機能が備わっているので、一般人より喪失感は少ないでしょう。

 

まとめ

スキゾイドは基本的に寂しさを感じません。

なぜなら、寂しさとは自己肯定の低さであり、スキゾイドは自分で自己肯定感を高めることができるからです。

しかし、疲れた時には自身で自己肯定感を満たす余裕がなくなり、寂しさが溢れます。

また、本当の理解者が離れそうな時も喪失感を感じます。

 

「なんで私は寂しさを感じないんだろう?変なのかな」と思ったあなた、変なのは否定しませんが、寂しさは押し殺しているわけではなく、心の中で自然に昇華されているだけです。安心してください。

 

ここまでお読みくださりありがとうございました。

 

引用したスキゾイド研究会のコメントはこちらから見れます。

1人が好きだけど、1人ぼっちは寂しい。

第2回 スキゾイドが寂しさを感じるのはどんな時?

 

コメント

  1. フローリングウエットシート より:

    たまに記事を読ませていただいております。
    私もスキゾイドで大変興味深く読ませていただいております。
    有益な記事をありがとうございます。

    「理解者を諦める」について、別の視点から私の考えを。

    哲学の分野なのかもしれませんが、
    そもそも人間は物事を本当に理解することはできません。
    認識の限界として、あくまで各々が認識したい世界を内的に再構築し、認識、理解しているに過ぎません。
    よって、誰もが、誰をも、本当に理解することは不可能です。

    AさんとBさんがいたとして、
    彼らはそれぞれは別の世界を認識しているわけです。
    Aさんの理解する「Aさん自身」と
    Bさんが理解する「Aさん」は、決して同一に成ることはありません。
    BさんはAさんではないのですから。

    結局の所、「自己の認識する自己」を理解できるのは自己だけであり、
    第三者に自分を理解してもらうこと、
    理解者を求めることは無益だという考えに至っています。

    この考え方は自己肯定にもつながっているのかもしれません。

  2. トオリスガリ より:

    ずっとソロキャンプが好きで、最近良かった事を知り合いに話したら開口一番「そんなとこ一人で行って寂しくないの?」と。自分で良かったーって思ったところ素通りして一人で行ったところにツッコミかよ!とか思いつつ、いや別に寂しくはないですよと答えてその場は終わりました。でよく考えてみたところ自分が今まで寂しいと思ったことがない、寂しいと言う感情は知識として知っているけれど実は自分では感じたことが無いかもと言うことに今更ながら気が付きました。
    それから不意にその事を思い出してはやっぱり自分は精神的に欠陥があるんだろうなーと漠然と考えてましたがなんとなく「他にも居るだろう」と思ってネットで調べてみたら一発でこちらのサイトに。
    書かれていることがいちいち当てはまって「ああこれだw」と。
    もやもやしていた事が他の人によってきっちり言語化されているのを見るともやもや解消されて良いものですね。

  3. 名無し より:

    「なんで私は寂しさを感じないんだろう?変なのかな」と思ったあなた、変なのは否定しませんが、寂しさは押し殺しているわけではなく、心の中で自然に昇華されているだけです。安心してください。
    ーーまとめ内原文ママ(2020/04/25時点)

    変、おかしい、普通じゃないかどうかについて筆者の方のご意見が垣間見れました。
    悩んで記事を読んだ個人的な意見としてはまとめ方が非常に残念でした。

  4. 名無し より:

    スキゾイドなら変かどうか、なんて気にしないと思うのですが
    一般的に見たら変かもしれませんが、むしろ一般の方がよっぽど変ですし
    ↑の方は回避性なのでは?

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