ぼっちで目立たない、大人しい、休日は引きこもってる、人をできるだけ避ける。
外見では同じぼっちでも回避性人格障害・対人恐怖症とスキゾイドパーソナリティは、内面が大きく違います。
世間一般に考えられているぼっちは回避性人格です。人間関係を避けるのは自信がないから、怖いから。それを救ってあげよう、友達になってあげよう、恋人ができてハッピーエンドというのがドラマなんかの定番です。
そんな性格に真っ向から対立するのがスキゾイドです。人付き合いを避けるのは自信がないからではなく面倒臭いから。無理やり友達になろうとグイグイ来られてもありがた迷惑なだけです。
回避性人格障害や対人恐怖症で調べたけど、なんか違うなーと思ったあなたは、もしかするとスキゾイドかもしれません。
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今回は回避性人格・対人恐怖症との違いに焦点を絞って、スキゾイドについて説明します。大きく3つの違いがあります。
・人間関係の捉え方
・自己肯定感
・本心
回避性人格は、人間関係が怖いから避ける、自己肯定感が低い、本心は人と仲良くしたいという特徴があります。
一方スキゾイドは、人間関係に恐怖心はなく、自己肯定感は高い、本心でも人と関わりたくないのです。
同じぼっちでも正反対の性格です。
まずは回避性人格って何?
回避性人格は、自信のなさから批判を恐れたり、人間関係を避ける性格のことです。この性格が悪化して、外に出るのすら怖い、学校に行けない、うつになったなど、日常生活が困難になれば回避性人格”障害”に格上げ?されます。
アメリカ精神医学界のDSM-IV-TRという判断基準では以下の4つ以上が当てはまると回避性人格障害と認定されます
社会的抑止、不全感、および否定的評価に対する過敏性の広範な様式で、成人期早期までに始まり、 種々の状況で明らかになる。以下のうち4つ(またはそれ以上)によって示される。
- 批判、非難、または拒絶に対する恐怖のために、重要な対人接触のある職業的活動を避ける。
- 好かれていると確信できなければ、人と関係をもちたがらない 。
- 恥をかかされる、または嘲笑されることを恐れるために、親密な関係の中でも遠慮を示す。
- 社会的な状況では、批判される、または拒絶されることに心がとらわれている。
- 不全感のために、新しい対人関係状況で制止が起こる。
- 自分は社会的に不適切である、人間として長所がない、または他の人より劣っていると思っている。
- 恥ずかしいことになるかもしれないという理由で、個人的な危険をおかすこと、または何か新しい活動にとりかかることに、異常なほど引っ込み思案である。
どうですか? あくまで自己判断なので信用し過ぎないでくださいね。
ちなみに、僕はぼっちですが1個も当てはまりません!ほとんど当てはまらなかったら、あなたもスキゾイド気質かもしれませんね。
回避性人格のベースは恐怖心
なぜ彼らは人との交友を避けるのか、それは嫌われたらどうしよう、批判されたら嫌だという恐怖心があるからです。
同じ思考で新しいコミュニティや活動に参加するのも躊躇します。失敗したらどうしよう、知らない人に変な印象を持たれたら恥ずかしい・・・
もちろん僕も批判されるのは嫌ですし、初めての場に行くのは勇気がいります。でも彼らはそれが極端に膨れ上がり、恐怖が心の中を支配しています。その結果、人の輪に入れずおどおどする引っ込み思案な人間となるのです。
本当は仲良くなりたい
でも本心は人付き合いをしたいと考えています。怖いものの、交友を楽しむ気持ちはあります。そのため治療には積極的で、心療内科で改善しやすい性格と言えます。
引っ込み思案だったけど頑張って治した!という展開はドラマとして作りやすいため、よく題材として利用されます。「本当は人付き合いしたい」という誰にでも共感できる欲求があるため作りやすいのです。
原因は自信のなさ
どうして人間関係に過剰な恐怖を抱くのか、原因は自己肯定感の低さです。つまり自分に自信がない、ダメなやつだと思いこんでいる状態です。
自己肯定感が低い理由は色々ありますが、一つは親に褒められなかったことが挙げられます。
子供の頃、折角お母さんの絵を描いたのに捨てられた、勉強を頑張って良い高校に行ったのに何も言われなかった、愛想の良い姉がいていつも比較され暗いと言われる、など。
人間として別段劣っているわけではないのに評価されないことで、自分はダメな人間だと思い込んでしまいます。
これは親に限らず、兄弟間、友達、先輩、先生など色々な人との交流で起こります。「自己評価が異様に低い」のが回避性人格に共通する特徴です。
対人恐怖症となにが違う?
回避性人格と似ている意味で「対人恐怖症」をいう言葉がありますね。
どちらも人が怖くて関われないという意味ですが、微妙に使い方が違います。
回避性人格が「自信がなく人付き合いが怖い」という性格なのに対し、対人恐怖症は「人付き合いができない、引きこもっている」という症状です。
とはいえ、回避性人格の人の大体は対人恐怖症になっているので、両者を厳密に区別する必要はないでしょう。
スキゾイドとの3つの違い
そんなマンガやドラマで定番の回避性人格ですが、同じぼっちでも、スキゾイドとは大きく違います。
・人間関係の捉え方
・自己肯定感
・本心
この3点を見ていきましょう。
人間関係の捉え方:怖くないし興味もない
スキゾイドの大きな特徴は、人間関係自体には恐怖心がないという点です。怖くて人に話しかけられないということはありません。(相手がヤクザみたいな人なら別ですよ)
回避性が一貫して人と話せないのと違い、スキゾイドは必要があれば話します。仕事で気難しい上司に相談もできますし、会議で意見も言えます(目立ちたくないのであまり言いませんが)。
逆に回避性は仲良くなれば普通に深い関係を築けるのに対して、スキゾイドは仲良くなってもあまり心を開きません。というかそこまで仲良くなるメリットがないと思ってます。
会社や学校ではそこそこ話すけど一緒に飲みに行ったり遊んだりはしない。そのくらいの距離感を保っています。
人に関わらない理由は面倒くさいから、人とワイワイやること自体に興味がありません。
回避性は人に嫌われたくないので、色々な情報を集めようとします。みんながサッカーの話題を話していたら、自分も興味がなくても一生懸命覚えて会話に入ろうします。
対してスキゾイドは、会話に入れなくてもいいので、みんなが見てるドラマを見たり、サッカーや野球を頑張って見たりなんてしません。
服装も基本的に適当です。他の人と流行を合わせたり、羨ましがられる必要がないわけですし。そんな僕も夏ならずっとTシャツ、ジーパンスタイルです。
時には興味がなさすぎて、30歳なのにBARに行ったことがない、恋人ができたことがない、ここ数年1度もテレビを見ない、などの浮世離れした人間が構成されます。
自己肯定感:めっちゃ高い
傍から見ると、誰とも関わらず、教室の隅で本を読んでるタイプのスキゾイドは自信がないように見えます。普通の人は、自信というと他の人にアピールする力、仲間を引っ張っていく能力に結びつけがちです。
でもスキゾイドは内心では自信満々です。それは外の人間関係に向けられるのではなく、自分の内面や、芸術、科学といった世界に集中しています。
内面の世界では自分で自分の評価を得られるので、自信はどんどん膨らみます。そこに他者の評価は必要ありません。
回避性は人間関係を避けることでどんどん自信を失うのに対し、スキゾイドは人と会わないとどんどん自信を増していきます。
その結果、ぼっちなのに自信に満ちて飄々としている、普通の人から見るとよく分からない人間になります。
本心:人付き合いはしたくない
回避性は本心では友達を作りたいと思っています。でもスキゾイドは本心から人と関わりたくないのです。
そのため自分の性格を治そうという気力は薄いです。家族に指摘されたり、うつになって治療を受けることもありますが、改善するケースはあまりありません。
そもそも、本人は「性格」を治したいのではなく「人間関係が必要な環境」を変えたいと思っているだけなので治療はなんか違う気がします。
まとめ
今回は回避性人格とスキゾイドの差異に焦点を当ててみました。
・回避性は人間関係が怖いが、スキゾイドは怖くないし興味がない。
・回避性は自信がないが、スキゾイドは内心自信がある。
・回避性は本当は仲良くなりたいが、スキゾイドは本当に仲良くなりたくない。
外野から見ると、どっちも友達がいない、一人で飯を食べている、ひとり机で本を読んでいるなど同じような存在です。
しかし内面では全く正反対の状況になっています。
もしあなたがスキゾイド気質なら、回避性と同じような扱いを受けて「めんどくせー、構わないでくれ」と思う経験があると思います。
世の中には「ぼっち=回避性人格」のイメージが根強いです。もっとスキゾイドの存在を認識してもらって、スキゾイドにも生きやすい世の中にするのが僕の目標です。
ここまでお読みくださりありがとうございました。
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コメント
混合型なのかな
自己肯定感はすごく低いけど
別に人に認めてもらいたくはない
人とのコミュニケーションは怖いけど
人と仲良くなりたいとは思わない
寂しいという感情の概念は理解できても感じることはない
人に心を開くという感覚が分からない
悩みを人に相談とかしたこととかない
でも回避性人格のチェックリストは4つ当てはまる
批判されることや怒られること、恥をかくことに対して異常な恐怖を抱いているために引っ込み思案になってしまう
回避性人格とスキゾイドは正反対としているが
一個体の中で共存することもあるということかな
そもそも友達とかいる必要性を感じませんからね
ずっと一緒に生きていく相手じゃないですし、
時間も労力も有限なのに何故みんなはそこに拘るのか…
そんな暇があれば別の事に使った方が有意義ですよね
何もせずにぼーっとしてるだけで楽しいのに、
「何考えてるの?」とか「調子悪いの?」とか、
一々聞いてくるのも理解不能ですね…
「それを知ってアンタの人生にメリットあんの?」みたいな
シゾイドが回避性の気持ちをわかるのはなぜなんでしょうか?
社会に対する表現方法が違うだけで本音の部分でシゾイドと回避性は同じだからなんじゃないでしょうか。
この文章から回避性に対する見下すようなプライドのようなものを感じたので書いてみました。
あと、シゾイドが生きやすい世界になるには、シゾイドは他者について語らないことが一番だと思いますよ。特に公において。
何かを語ればそこから面倒くさい論争が起きることは目に見えたことです。
私は未診断ですが、恐らくスキゾイドです。以前は回避傾向のある人間だったのですが、より深化してしまったのかも知れません。
以前は対人恐怖症ぽかったのですが、今は人に恐怖を感じていません。ただ、純粋に興味がないだけです。
知人が居た事もありましたが、その時も知人自身のことを知りたいという欲求は一切湧きませんでした。
何かに熱を上げることもありませんし、感動もしません。