コミュ障、本来はコミュニケーション障害の略称ですが、今はコミュニケーションが苦手な人の意味で使われていますね。
そんなコミュ障ですが、誰かが「俺コミュ障なんだよねー」なんて言うのを聞いたことありませんか? 大抵その人はコミュ障なんかじゃなく、リア充グループでいつもワイワイやっている人だったりします。
(お前は絶対コミュ障じゃねーだろ)と心の中でモヤモヤしながら聞いていました。
「俺は昔は人付き合い苦手だったけど、頑張って改善した」みたいな昔は苦手だったおじさんもいます。でもそんなおじさんは若い頃朝までクラブで踊り明かしたりしています。(めっちゃ人付き合いしてるやん!)と心中ツッコんでます。
あなたも心当たりありませんか?
自分からコミュ障宣言する人は傍から見ると全然コミュ障じゃありません。この理由は大きく2つあります。
・自己開示できる時点でコミュ障じゃない
・本当のコミュ障の存在が分からない
彼らはコミュ障をバカにしているわけではありません。本当に自分はコミュ障だと思いながらの発言です。イラッとする気持ちは分かります。てか僕もムカつきます。
でも彼らコミュ障きどりを許してやりましょう。彼らは自分のグループ内での比較しかできず、本当のコミュ障の存在を知らないのです。
自己開示したらコミュ障喪失
自己開示というのは、自分の性格、趣味、昔話を他人に打ち明けることです。どんな人か知ってもらい仲良くなります。
特に自分の弱みを晒すのは、相手へ安心と共感を与える優秀なコミュニケーション手段です。
しかしコミュ障にとって自己開示は「本当のことを言ったらバカにされるかもしれない」と恐れる難関です。気軽に自己開示できる人はコミュ障じゃありません。
「自分はコミュ障である」と言うこと自体が弱みを晒す自己開示になっています。
自己開示した時点でコミュ障じゃなくなるんです。観測した時点で結果が変わる、まさにシュレディンガーのコミュ障です。
本当のコミュ障が「自分はコミュ障だ」と言うのは恐ろしすぎて無理です。結果としてぎりぎり自己開示できる自称コミュ障の声が大きくなります。
でも彼らも悪気があってコミュ障発言しているわけではないのです。ある条件内では彼らは確かにコミュ障なのです。
相対的コミュ障
特定の集団、この場合は大学生のリア充のグループとしておきます。その中では友達が何百人いる人もいれば、毎日ナンパしまくってる人、毎日朝まで飲み歩ている人、友達のツテで起業する人もいることでしょう。
僕らには想像も付きませんが、彼らのグループ内ではそれが基準です。そんな中に、ちょっと友達が多いくらいの普通の人がいたらどう思いますか?
(俺は友達も数十人しかいないし、ナンパも3回したことない、俺はコミュ力が足りないのかも・・・)
そんな考えから「自分はコミュ障である」と発言したくなる気持ち、共感はできなくても理解はできませんか?
人は自分の周囲の状況から自分の立場を判断します。集団で相対的に低い位置にいれば、日本人全体では上位に位置していても劣等感を覚えるものです。
周りが100人ナンパしていれば、10人しかナンパしていない人は負けたと感じます。でも日本人全体なら10人はかなり多いはずです。
声の大きいリア充の存在はコミュ障側にも伝わります。しかし声を上げないコミュ障の存在はリア充に伝わることはありません。こうして情報格差が発生します。
コミュ障じゃないのにコミュ障発言する人はこうして生まれるのです。
声の大きいコミュ障、声なきコミュ障
ここまでは声の大きい側の話をしてきました。今回の話ではリア充側です。発言する側は自分達の声しか聞こえないので、自分達がメジャーな存在だと思っています。
その結果、無言の99%のコミュ障を差し置いて、上位1%のリア充がコミュ障であると思い込むことになります。
無言の99%は、いわゆる「サイレントマジョリティ」です。
今は欅坂の歌が有名かもしれません。本来はベトナム戦争反対派の運動が盛んだった時代に、声の大きい反対派は少数で、声を上げない賛成派が多数を占めているという意味で使われました。
「俺コミュ障だから」という少数派の自称コミュ障の陰に、多数の本当のコミュ障が隠れています。
これは何も政治やコミュ障に限ったことではありません。サッカーファンの声が大きいと日本人全員がサッカー好きだと思い込んだり、一部のクレーマーに配慮して大勢の普通客を失うスーパーがあったり、一部の声の大きいオタクと普通に楽しみたいオタクがいたり、などなど。
自分は多数派だと思っていても、いつの間にか声の大きい少数派として孤立しているかもしれません。
あなたがスーパーの経営者だとしたら、一部のクレーマーの意見を、全体の意見だと誤解して取り入れてしまうかもしれません。
声のない多数派はどっちか、ふと思い出した時に考えてみてください。
まとめ
自分からコミュ障だと発言できる人は、コミュ力があります。しかし自分のコミュニティ内では相対的にコミュ障になっているのです。
加えて本当のコミュ障は自分のことを言わないので、リア充達が隠れたコミュ障の存在に気が付きません。
こうした情報格差から自称コミュ障が蔓延してしまうのです。
サイレントマジョリティの存在は情報発信者には分かりづらいので、その需要を拾うチャンスがあります。
僕はスキゾイドという性格なのですが、スキゾイド達は自分から発言しないので社会的に認知されません。しかし日本に4%はいると見込まれます。
実は大勢存在しているのに気づかれない、そんなことは沢山あります。声のない彼らに向けて発信してみると予想外の反応が返ってくるかもしれません。
僕はそれが楽しみでこのブログを運営しています。
もし良ければ他の記事も読んでみてください。
ここまでお読みくださりありがとうございました。
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