スキゾイドは感情表現が苦手です。明るく振る舞うのはもちろんのこと、悲しみや怒りを感じることも難しいです。
たまにイラッとしますが、大体3秒くらいでスーッと冷めます。僕は他人に怒鳴ったことは一度もないです。そんな気力が湧きません。
人と楽しくお喋りしようと思っていても笑顔が継続しません。最初は本当に楽しいのですが、段々とエネルギーが持っていかれて無表情になって、どうでもよくなってしまいます。
そんな経験ありませんか?
スキゾイドはなぜ感情を表すのが苦手なのでしょうか?
その根源は乳幼児期にあります。前期口唇期は「与える」が「無くなる」と同じ世界であり、スキゾイドもその感覚を引きずっています。
スキゾイドにとって感情は「与える」ことで「失って」しまうものなのです。
スキゾイドって?という方はこちらから
追記
コメントでもご指摘がありましたが、こちらで紹介しているフェアベーンの考え方は学術的には古いものです。
間違っているわけではありませんが、否定的な意見も多々あります。あくまでひとつの見解としてご覧ください。
スキゾイドは乳児期にあり
スキゾイドの症状は乳幼児期の母親との関係までに遡ります。
前期口唇期とは赤ちゃんが生まれてから7~8ヶ月までの時期です。まだ歯が生えておらず、口は何かを吸う能力しかありません。一方的に母乳を貰う立場です。
その関係は非常に単純です。母親の乳房から母乳を与えられ、自分がお腹いっぱいになると母親は去っていく。
その中で赤ちゃんは、自分が「いっぱい」になることで母親の乳房を「からっぽ」にしたからいなくなったのではないか、という不安を抱えます。
実際には母親は空っぽになっていないので、やがて戻ってきます。そして赤ちゃんも「自分が乳を吸ったことで母親を空っぽにしたのではない」と学習します。
しかし心の奥底では「”受け取った”ことで”失って”しまったのではないか」という不安が大人になってからも残っています。
スキゾイド気質は、家族、友人、会社の人間関係などから過度なストレスが与えられると発生します。
この場合のストレスは、両親の喧嘩の板挟みにあったり、中学でいじめられ、何をしても改善しない状況になったりと、自分の力では解決できない複雑な人間関係に直面することです。
こうした複雑は人間関係に対処できないと、脳は乳児期の単純明快な関係に逃避します。
そして前期口唇期の「いっぱい」と「からっぽ」の2元的な関係に落ち着いたのがスキゾイドなのです。
感情は「いっぱい」か「からっぽ」
前期口唇期は母乳を一方的に受け取るだけの関係です。赤ちゃんは自分から「与える」ことはないのでひたすら溜め込みます。
スキゾイドもその性質を引き継ぎ、受け取った情報や感情は心の奥に蓄積します。「情動を与えると自分がからっぽになってしまう」という恐怖があるので、他者との交流はできるだけ避けます。
内的世界を形成し、自分の欲求や感情をできるだけ心の中で処理しようとします。
普通の人は他者に向かって自分を表現したり感情を表すことで、相手から満足のいく反応を貰います。自分の欲求や感情を他人とのコミュニケーションを介して解消するのです。
しかしスキゾイドにとって「与える」は「失う」のと同じ。自分の感情を表現すると、感情自体を渡したような喪失感に襲われるのです。
自分の身体の一部を渡したような、自身からエネルギーが抜けていくような疲労感です。空っぽになった感情はこれ以上出せません。
心の中を重視しすぎるため外に感情を表出すると失ったように感じてしまう。
それがスキゾイドが感情表現に疲れる理由です。
まとめ
スキゾイドは、人間関係のストレスから前期口唇期という単純な関係に逃避したためにできた性格です。
前期口唇期は乳房を吸うことで母乳を受け取り、受け取ったことで相手の母乳が失くなってしまう、「与える」と「失う」だけの世界です。
スキゾイドはその関係を成長した現在の人間関係にも当てはめてしまっています。
そのため感情を与えると失ったような感覚になるのです。
いかがでしたか? ちょっと抽象的で分かりづらかったかと思います。
今回の話はR・フェアベーン『人格の精神分析学』を参考にしています。
ちゃんとした説明が読みたい方はぜひ本書を読んでください!
次回は感情を失わないための防衛手段について取り上げます。
ここまでお読みくださりありがとうございました。
コメント
精神分析学は現在の精神医学の見地から言うと「エセ科学」的な見方をされる事が多く、引用なさっている文献もかなり古典に属する本ですので「昔はこういう考え方もされていたと紹介します」くらいの内容にとどめておいた方が正確だと思います。
古い精神分析学を引いて「こういう理屈でスキゾイドになります」と書いてしまうのは誤った知識を広めてしまう。
皆で楽しく話ていても暫くすると笑顔がひきつることがありました。
楽しいはずなのにずっと笑っているのが疲れると言うか。
自分でも不思議でした。
喪失感だったのですね。